影 陰 蔭 翳

虚子の  もの置けばそこに生れぬ秋の蔭 という句がやたら気になる 影 陰 蔭 翳 のなかから なぜお蔭様の蔭を使ったのだろう なにか意味があるのだろうか 陰翳礼讃 が 陰影礼讃 だと 印象はずいぶん変わる 日蔭茶屋 が 日陰茶屋 だと 客の入りに影響しそうだ 影を慕いて が 翳を慕いて だと なんだか慕いたくない気分だし 青春の光と影 が 青春の光と陰 だと ちょっと違うんじゃないかと思う  もの置けばそこに生れぬ秋の蔭 でなくて  箸置けばそこに生れぬ秋の蔭  ペン置けばそこに生れぬ秋の蔭 だったらどうだろう それでも蔭を使っただろうか そしてなによりも なぜ  もの置けばそこに生れる秋の蔭 でなくて  もの置けばそこに生れぬ秋の蔭 なのか  生れる でいいじゃないか 陽の光が いや 日のひかりが長くなり 柔らかくなってきたせいで この句が気にかかる それだけのことなのだけれど でも やっぱり気になる 秋の日ざしから生まれた感じの蔭が とても気になる